咎犬の血 SS「名前」雨音をぼんやりと聞いているうちに、アキラは今や実質上自分の主と化しているこの男に、何か皮肉を言ってやりたくなった。アキラの飼い主であるシキは、所在なげに長身を窓辺にもたせかけて雨でけぶる廃墟の街並みを見つめていた。その横顔は白く、そして美しかった。 「あんたのこと、周りの人間はなんて呼んでるんだ?」 「ーーーー?」 シキはやや驚いた表情で、裸のままベッドに上半身を起こしているアキラを見た。 「周りの人間、とは?」 「家族とか、友達のことさ」 肩をすくめながらアキラは言った。少し身動きしただけで体がだるい。発した声は枯れている。さきほどまで、シキにさんざん揺らされたせいだろう。 「そんなものは俺には関係ない」 シキは鼻を鳴らした。そのまま、窓辺に向かってふたたび背を向けそうになるシキにアキラは腹が立った。自分をこんな狭い場所に閉じこめておいて、話し相手にすらなれないというのか。自分は単にシキという男の性欲処理の道具だというのか。 シキによって踏みにじられていたアキラの男としてのプライドがムクムクと頭をもたげる。腕っぷしではとうていシキにかなわないと観念していたアキラの敵対心は、言葉による皮肉となった。 「そうだよな。あんたには、家族だの仲間だの似合わないもんな。冷酷非情なエゴイスト。邪魔なヤツは殺してもなんとも思わない。そんな人間にダチなんぞいるわきゃねえよ」 シキがこちらを向いた。白い顔は何の表情も浮かべていなかった。憎まれ口なんぞ、この男を毛ほども傷つけることはできなかったのだ。 アキラが落胆を覚えつつ、衣服を身につけようとした時。 抜き身の刀の切っ先が、アキラののど元につきつけられた。 「お前はどうなんだ?」 刀をアキラにつきつけながら、シキは微笑んでいた。赤い瞳がアキラを射る。 あと数センチ体を動かせば、確実に死が待っていた。 この部屋に閉じこめられてからというもの、現実感がすっかり麻痺していたアキラだったが、何食わぬ顔で人に凶器をつきつけるシキの行動にはあいかわらず慣れなかった。 それでもシキにひるむのは癪にさわる。アキラは精一杯、目に力を込めてシキをにらみつけた。赤い瞳はルビーより強い輝きを帯びていた。 「男の分際で、俺の所有物にされているお前を友人と値する人間などいるのか?」 「ーーーーいる。ああ、いたさ」 しばらく考えてから、アキラは言った。 「なぜ過去形になる?」 シキが不思議そうに尋ねる。 「俺にもいろいろ事情があるんだよ。浮き世のしがらみってやつでね。俺とそいつのしがらみはずいぶん手が込んだ代物だったけど」 「ほう」 シキは少し興味深そうにそうつぶやいて、アキラに向けていた刀を下ろした。そのまま刀を壁に立てかける。 「友情などはかないものだな」 シキはせせら笑うように言った。 「そんなしがらみごときで消え去ってしまうとは。だから、俺はそんなものには頼らない。信用しない。その方が楽だと思わないか? そんなものより、こちらの方がよほど信じられる」 シキは含み笑いしながら、アキラの裸の胸に指先をすべらせた。 「あ……っ」 意識せぬうちに、うめき声が口から漏れる。 「だいぶ俺に染まってきたようだな。そろそろ抱かれるのがたのしみになってきたころだろう」 シキはアキラの体をベッドに押し倒そうとした。 通った鼻梁、切れ上がった双眸。 アキラはなぜかあの少年のことを連想した。 「あんたみたいなこと言ってた人間、俺知ってるぜ」 シキが怪訝そうな表情で、アキラを押し倒す手を止める。 「他人のことを信じられないって。傷つくのが怖いんだって」 アキラの脳裏にあの少年の笑顔が目に浮かぶ。金色の髪、青い目。シキとはまるで似ていないのに、なぜかアキラはリンのことを思い出していた。 シキは黙ってアキラの言葉を聞いていた。アキラはつらつらと言葉を続ける。この部屋に閉じこめられる以前のことが、久々になつかしく思い出されてきていた。 「けど、俺にしちゃそんなの単なる臆病だと思うんだ。あいつは本当は人を信じたくてたまらなかった。人に信用されたかった。でもそれがかなわないと思うから、必死に毒づいてそんなものいらないと思ってたんだ。まあ、俺にしてみても他人のことは言えないけどな」 その時、アキラはなぜかシキの赤い瞳がゆらいだのを見たような気がした。先ほど殺されかかった恐怖も忘れて、アキラはその言葉をシキにかけた。 「あんたもひょっとして、誰かを必要としていたりしてな。まあ、あんたがそんなわけ……」 アキラの言葉は封じられた。シキによって、ベッドの上にねじ伏せられていたからである。強引にシキが押し入ってくる。 「痛くはないはずだ」 軽く息をはずませながら、シキがささやいた。 「さっき、さんざん俺によがらされたばかりなのだからな」 「うるさ……離せっ」 アキラは必死に抵抗しようとした。だが、シキはアキラのもがきを冷ややかに見下ろしながら身を進める。灼熱の杭が幾度も体を行き来するうちに、アキラは甘くすすり泣きながら、自ら腰を動かしていた。 「俺の名を呼べ」 快楽のうねりの中、シキの声が聞こえる。アキラが朦朧としながら答えた。 「シキ……シキ」 「いい子だーーーー俺のアキラ」 シキの動きが早くなり、やがてアキラの意識は白く輝いた。 めまいに落ちる瞬間、赤い瞳がいとおしげな光をたたえて自分に向けられたような気がアキラにはした。 目覚めると、すでに日は落ちていた。 雨音だけが暗い部屋に響く。 痛む体を起こして、室内を見回したがシキの姿はすでになかった。 逃亡するにはちょうどいいと思ったが、どうせドアにはいつもの頑丈な鍵がかけられているのだろう。 寒かった。衣服を身につけようとして、アキラは立ち上がった。シキの放った白い液体が床にポタポタと落ちる。 それが、たったひとつの二人をつなぐ証だった。 ひどくその事実が寂しくなって、アキラは声に出して主人の名前を呼んでみる。 「ーーーーシキ」 返事はなかった。 シキの髪のように黒い闇だけが、あたりを覆っていた。 END ジャンル別一覧
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